作品の感想であり、観劇記録ってほどでもないです。
藤田作品は「うしおととら」と「黒博物館シリーズ」のみ既読です。
遅れて見た2015年のアニメでうしおととらが気に入って原作を集め、黒博物館はゴーストアンドレディから入りスプリンガルドを読みつつ、三日月よ怪物を踊れで初めて刊行をリアルタイムで追ったというゆるい感じですが、どれもま~~面白い。
黒博物館、ここに書くまでもないですが…史実と都市伝説とフィクションを織り交ぜつつドラマチックに纏め上げられた物語、ヴィクトリア朝という憧れの時代設定、それらが熱のこもった画で説得力を持って描かれていて、本当に魅力的な作品です。
うしおととらは物語の長い積み重ねが良さを生み出していましたが、短編中編&青年誌だとこうなるのか…という驚きもあり。さまざまな"差"を持った2人がバディとなっていくというのは共通しつつ。4作目もあるといいなあ。
中でもゴーストアンドレディは2巻と短いのもあって気軽に勧めやすいのも嬉しい。
舞台化は本当に嬉しく、あの物語がどう舞台に落とし込まれるのか非常に楽しみにしていました。
そして観てきた舞台、よかった~~最初こそ漫画との違いや不足が気になってしまったのですが、「黒博物館ゴーストアンドレディ」の舞台化じゃなくて漫画を原作とした舞台「ゴースト&レディ」なのだと理解してからはあらゆる部分に納得です。
歌も演技も美術も何もかも、生の舞台の迫力に圧倒されるばかりで。グレイの掛け声とともに幕の開ける華やかなドルーリーレーン劇場とコーラスで一気に引き込まれてからは食い入るように観てしまいました。
以下サントラを聴き思い出しながら書いてますが、舞台を何度も観たわけではないので細かいところ間違っているかもしれません。
ストーリーとかキャラクターとか
原作との差異ですが、まず「黒博物館」の冠がないので、このシリーズを支える額縁のような部分がごっそりないんですよね。事件の象徴の品を元に懐古する形で進む物語ではなく、グレイの語りはありつつも今まさに舞台の形で動いている物語なので、そもそもの味わいが違う。かち合い弾という作品の中心たる仕掛けも…ない!!学芸員さんも当然いない。
代わりにフローとグレイのラブストーリーが主軸になっていて…いや原作から2人の愛の物語ではあるのですが、あまりラブストーリーの認識がなかった(そのこと自体を自覚し自分でも驚きましたが)ので、新鮮でした。
藤田先生と脚本の方でも最後に2人が結ばれるか揉めたとのことだったので、あの原作を読んで2人をどう思うかというのは人により結構違うのかもしれません。
ストーリー上での大きな違いのひとつは、「ゴーストが死ぬには人間を殺すか、他のゴーストに心臓を剣で貫かれるかのどちらか」でしょうか。結構思い切った改変だなと思ったし、こうなった以上グレイもデオンも「いかに美しく満足な二度目の死を迎えるか」という部分に重きが置かれる。あらゆる意味が変わってきます。
フローを殺す約束だって、それを果たしたらグレイだって消えてしまうわけです。でもそのことをフローは知らない。フローの殺しのお願いを断る理由も、承諾する意味も、何でこんな女に付いてきてしまったのか…というグレイの後悔も苛立ちも、みるみる違うものになっていく。フローの絶望はより一層、中途半端なものでは駄目で、盛大な悲劇として成り立つものでないと、グレイとしても無駄死にになってしまうわけですね。
でもだからこそ2人の約束がより重く、奇妙で、果たされることはないのだと信じられるものとして強調される仕掛けは面白いなと思いました。
グレイの「絶望したら殺す」は、とらの「うしおを食う」と文脈は同じなんだな…と気づいたのは結構後でした。
お前を殺して俺も死ぬ、の裏返しとして、互いに影響を受けながら前を向き生き抜いていく話なのだというのもわかりやすく。またフローの信念たる「誰も独りで死なせはしない」とも、うまいこと噛み合ってるように思います。
デオンとともに消えることになった時にデオンだけでなく原作よりわかりやすくグレイが受け入れているのは、あれもまた「満足な死」の形のひとつだったのでしょう。守りたいものを守り、信じたいものを信じた。
本質は全く違うにせよ、あそこはグレイが結果的にフローよりデオンとの死を選んだようにすら見えて、生きている人間とゴーストの絶対的な隔たりを感じ、置いてかれるフローの絶望感もひとしおでした。
アレックスとエイミーの追加もわかりやすい違いでした。
家族との確執、普通の女性としての生き方の象徴と、フローの有能さ、小さな絶望のきっかけ等々あらゆる描写のサポートを2人がしており、いい悪い以前に感心してしまいました。誰も独りで死なせはしないと誓ったフロー自身が旅立つ時にボブとともに傍にいる人間を具体的に作るのも納得。
最初はアレックスとエイミーの結婚にショックを受けるフローに今さら!?と思ったのですが、思い返せば、自分から親しい人が離れていくことに加え、貴女なら一人でやっていけるよねという断定に、実際は違うからこそ傷ついた…というのは遅れて理解できました。
アレックスとエイミーから見えるフロー像がそうなのも無理はなく、これからもフローの幸せを願い自分にできることは何でもするというのも本心で、すれ違いの描写であったと。そしてだからこそ、前に進む勇気をくれるグレイこそがフローの必要としている人物なのだという流れ。なるほど~
物語の最初からアレックスは何も悪くないので死なないでくれ(オリジナルキャラゆえの不安)と思ったらエイミーと結婚した上に長生きしたのでほっとしました。
ラブストーリー化に伴うもののひとつですが、グレイがフローに惹かれながら素直にならない感じも強調されてましたね。霊気を与えるシーンの改変なんて少女漫画の文脈で古典的ですらあった。
フローの象徴となるランプもグレイが持ってけよとか忘れんなよとか、勝手に死ぬな…とかぶっきらぼうに言ってるの…もう…こっちが恥ずかしいよ!!でもその不器用さが舞台版としてのわかりやすさであり、心地よかったです。
フローが信じるに値する人物であると思えるようになるだけでなく、フローが懸命に生きる姿を見て夢を思い出すというのもいい。グレイはフローと夢を追いかけ生きる同志として、デオンと死という境遇を共有する者として、相反する2つの面が短い時間の中で描かれており、魅力的で応援したくなるキャラクターだったように思います。
フローとともに行けない理由も原作に似た文脈に加え、夢を叶え、「誰もが知ってるあのひとの誰も知るはずのない秘密の話」の芝居を作るためであると…そして今夜私たちはそれを見ているという形。舞台ならではの嬉しい仕掛けです。
フローは、言動こそあまり変わらないのですが、あの素のおどおどした感じや演じると人が変わったように強く出られるところ、おおよそ狂気にも似た熱意…は、かなり藤田先生の絵、特に瞳に起因するものなのだなと思いました。
グレイがおもしれえ!こんな女が絶望するところを(自分が死んでもいいから)見てみてえ!と思うにはちょっと不足するような。
もちろんほとんど一貫して強く、輝かしく皆を照らすともしびである彼女も素敵で、その上でホールとの対峙の強烈な力強さには痺れました。人間ってああいう声も出るんだ…みたいな。歌の強さがフローの強さ、生き様、信念、グレイが信じるに値する人間であるということを何よりも雄弁に物語っており、素晴らしかったです。
歌によるキャラクター像といえばデオンもすごかったですね。デオンが出てくるタイミングも声色も歌も曲調も立ち振る舞いもすべてがデオン・ド・ボーモンそのもの…前半の幕引きには大喜びしてしまいました。あ~かっこよかったな。
曲についてなど
四季のオリジナルミュージカルに行ったのって初めてだったのですが、1度聴いただけで覚えられる場面に合ったキャッチーな曲、どう歌っていても演じていても明瞭に聴こえ一発で理解できるセリフたちに今さら驚きました。おかげで作中でフレーズが繰り返されるとちゃんと曲の方の文脈も理解できる。帰るころには口ずさめちゃう…
ストーリーの再構築含め、1回かもしれない観劇でとにかくこの物語のよさを全部わからせるぞという熱意があるというか…ミュージカル映画とはまた異なるものだなと思いました。
誇張なくどの曲もよかったのですが、特に気に入ったのは『俺は違う』『走る雲を追いかけて』『不思議な絆』『呪いと栄光』『偽善者と呼ばれても』あたり。
『偽善者と呼ばれても』は歌の凄まじさに加え目も耳も足りなくて…あっちもこっちも忙しい!歌もすごいしゴーストな殺陣もすごい!それでも4人の歌がきっちり聴き取れるのもすごい…
ホール長官の吾輩にはわからん!金持ちの娘が…の、フローが理解できないからこそ畏怖を感じているかのような絶叫も印象深いです。
とにかくこれひとつで完結した舞台作品なのだ、と思えさえすれば本当に大満足で、千秋楽までにもう1度くらい観たいです。来年以降名古屋と大阪でもやるみたいでめでたいな。
もしこれを読んでる方で舞台まだの方は舞台観てほしいし、原作まだの方は原作読んでほしいなと思います!!